見られる還是見れる:ら起什麼作用
「食べられる」「見られる」などから「ら」を抜いた、「食べれる」「出れる」「見れる」などの言い方は「ら抜き言葉」と呼ばれ、一般的には誤った日本語の使い方と呼ばれています。
像「食べられる|可以吃」「見られる|能看到」等把「ら」去掉,變成「食べれる」「見れる」的說法被稱爲「ら抜き言葉|省略ら的語言表達」。一般,被認爲是錯誤的日語用法。
文法的な活用では必要なはずの「ら」の文字を含んでいない言葉
這種用法不包含語法活用中必須有的「ら」。
「~できる」という可能の意味をもつ形にするときに「られる」をつけるべきところ、「ら」を省いて「れる」のみをつけてしまっている
在表示可能時本該加上「られる」,卻省略了「ら」,只加上「れる」。
広まりつつある「ら抜き言葉」
使用越來越多的「ら抜き言葉」
今や若者層を中心に一般化しており、話し言葉のみならず書き言葉の上にもしばしば見られるようになった
目前這種省略ら的表達方式在年輕人中十分普遍,不僅僅出現在口語中,書面語中有時也能看見。
現実的な話をすれば、ほとんどの全國調査で「ら抜き」は全く使わないという人の方が少數派
實際上,絕大多數的全國調查表明,完全不省略ら的人是少數派。
テレビに出てくる「政治家や文化人」の中にも「ら抜き」を自然に使っている人がけっこういる
很多經常出現在電視裏的政治家和文化人也很自然地使用省略ら的詞。
一般的には誤った日本語とされている
一般被認爲是錯誤的日語
「食べることができる」を短く言うと何でしょうか。 中學校の文法の教科書によると、 「食べれる」はまちがいで「食べられる」です
「食べることができる|可以吃」簡化之後會怎樣呢?根據中學文法教科書的記錄,「食べれる」是錯的,應爲「食べられる」。
TV番組でも話者が“ら抜き”でしゃべっていたらテロップは“ら入れ”に直してあったりします
電視節目中說話的人使用了省略ら的詞彙,字幕也會加上ら。
一方で肯定的な意見も
另一面,對此也有肯定的看法。
「ら抜き言葉」は「可能」と「受身」を區別するのにとても便利な表現
因爲省略ら後可以簡單地區分可能與被動。
例えば「食べられる」と言った場合、ライオンかなんかに自分が餌になってしまうのか、食べることが(食材的、場所的に)適切だということを言っているのか不明確
比如「食べられる」,是表示自己被獅子等猛獸當成了食物,還是表示可以吃到(指食材或場所),意義是不明確的。
方言として使われている地域も
也有作爲方言被正常使用的地域。
國內には「ら抜き」が標準の地域もあり、その影響を受けている人もいる
在國內,有將省略ら作爲標準用法的地域。也有人受其影響。
本多勝一『日本語の作文技術』によると、彼の故郷の長野県伊那谷では、「ら抜き言葉」こそが正しい日本語で、可能の意味での「見られる」「食べられる」は、 いわば「ら入り言葉」として非難されるといいます
本田勝一在《日本語的寫作技術》中寫到,他的故鄉長野縣伊那谷,省略ら纔是正確的日語。用「見られる」「食べられる」來表示可能,即加入ら的表達反而是強人所難。
「ら抜き言葉」の見分けかた
區分「ら抜き言葉」的方法
誰かを誘う形、つまり勧誘の形に変えるだけで、すぐに分かります
只需要換成勸誘形就能很快分清。
「よう」が付くなら「られる」も付く
「越えよう」のように、「よう」を付けられる動詞は「られる」をつけて「越えられる」と言えるのです。
能加「よう」,就能加「られる」。
如「越えよう」,能加「よう」的動詞,也能加「られる」,變成「越えられる」。
見る →見よう →見られる
始める →始めよう →始められる
出かける→出かけよう→出かけられる
本翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。
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