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曖昧的日語:解讀日本年輕人用語「~み」

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質問

曖昧的日語:解讀日本年輕人用語「~み」

若者ことばの「やばみ」や「うれしみ」の「み」はどこから來ているものですか。

提問

年輕人用語「やばみ」(原形やばい,“糟糕,厲害”)「うれしみ」(原形うれしい,“開心”)中的「み」是從哪裏來的呢?

回答

ご質問の「―み」は,「Twitter(ツイッター)」などのインターネット上の交流サービスにおける若者の投稿でしばしば見られる,次の(1)~(4)のような使い方ですね。

回答

提問中的接尾詞「―み」,在年輕人的推特發言上經常能看見。比如以下(1)~(4)中的用法。

(1)今年の花粉はやばみを感じる。

(1)今年的花粉太可怕了。

(2)卒業が確定して,今とてもうれしみが深い……。

(2)確定可以順利畢業!現在特別開心……

(3)夜中だけどラーメン食べたみある。

(3)半夜突然想吃拉麪。

(4)その気持ち分かる分かる! 分かりみしかない。

(4)我懂你的感受!非常懂了。

このような「―み」の使い方になじみのない方もいらっしゃるでしょうし,私の周りの大學生に聞いてみても,「なぜここで「―み」を使うんでしょう? 」と逆に質問されてしまうことがあります。そこで,次のような問いが立てられます。

應該還有人不太熟悉這種「―み」的用法。我詢問周圍的大學生時,有時還會被他們反問“爲什麼在這裏要用「―み」呢?”總結起來,有以下幾個問題。

【疑問1】「やばみ」「うれしみ」などの表現はどのように作られたのか。

【疑問1】「やばみ」「うれしみ」等表達方式是怎麼來的?

「やばみ」「うれしみ」などの表現はどのように作られたのか

「やばみ」「うれしみ」等表達方式是怎麼來的?

文法的に見ると,この「―み」は,主に形容詞の後に付いて名詞を作る働きを持つ「接尾辭」(あるいは「接尾語」)と呼ばれるものです。形容詞に「―み」を付けて作られる名詞には,「うまみ」(< うまい),「つらみ」(< つらい),「深み」(< 深い)などがあります。これらは「―み」の“従來用法”とでも言うべきもので,辭書にも載っています。

從語法上來看,這裏的「―み」一般是跟在形容詞後面,讓它變成名詞的“接尾詞”(接尾語)。在形容詞後面加上「―み」使其變爲名詞的單詞有:「うまみ」(< うまい)(美味),「つらみ」(< つらい)(悲傷痛苦),「深み」(< 深い)(深度)等等。這是「―み」的“正規用法”,在字典裏也能查到。

一方,(1)~(4)では,“従來用法”の「―み」が付かないはずの形容詞「やばい」「うれしい」や形容詞型活用の助動詞「たい」,動詞の「分かる」に「―み」が付いています。(1)~(3)の語は本來,「―み」ではなく,同じく名詞を作る接尾辭「―さ」を付けて「やばさ」「うれしさ」「食べたさ」のような形で名詞化する必要がありました。この「―さ」は広くいろいろな語に付く性質を持っていますが,(4)の「分かる」には付きません。

另一方面,(1)~(4)中,依照“正規用法”原本不加「―み」的形容詞「やばい」「うれしい」、以及形容詞型活用的助動詞「たい」、動詞「分かる」後面也都加上了「―み」。(1)~(3)中的詞,原本不應該用「―み」,而是應該使用同樣有名詞化作用的接尾詞「―さ」,變成「やばさ」「うれしさ」「食べたさ」的形式。「―さ」可以接在很多詞後面,但是(4)的「分かる」不能接「―さ」。

このように,本來のルールでは付かない語に「―み」を付けてしまったのが,ご質問の「―み」の“新用法”であり,そこが,なじみのなさの原因なのです。このような “新用法”の例は,Twitter上で2007年から見られることが報告されています。

像這樣,在原本的規則之外加上「―み」正是提問中的“新用法”。也正是因爲它跳脫了規則,才使得大家不熟悉。有報告說從2007年開始,推特上就出現了這種“新用法”的例子。

したがって,【疑問1】に対する直接の答えは,「名詞を作る接尾辭「―み」を,本來よりも広い範囲の語に付けて作られた」となります。しかし,謎はこれで終わりではありません。さらに問題となるのは,次の2點です。

因此,對於【疑問1】的直接回答是:有名詞化作用的接尾詞「―み」擴展了使用範圍,在原本不能接「―み」的詞後面也接上了「―み」。但是謎團依舊還在。接下來還有以下兩個問題。

【疑問2】なぜ「うれしい」「食べたい」などを,わざわざ名詞化するのか。

【疑問2】爲什麼要把「うれしい」「食べたい」等單詞特意名詞化呢?

【疑問3】名詞化するなら,なぜ「―さ」ではなく「―み」を使うのか。

【疑問3】名詞化的時候,爲什麼不用「―さ」而使用了「―み」呢?

なぜ「うれしい」「食べたい」などを,わざわざ名詞化するのか

爲什麼要把「うれしい」「食べたい」等單詞特意名詞化呢?

まず,【疑問2】については,名詞化が持つ婉曲性から説明することができます。

首先,關於【疑問2】可以用名詞化時帶來的委婉效果來說明。

欲求や共感といった感情は,そのまま表に出すと生々しさや主張の強さを感じます。「うれしい」のような感情を名詞化し,「うれしみ{がある/が深い/を感じる}」のように分析的に表現することによって,自分から距離を置いた形で,婉曲的に表現する効果が生まれます。大人でも,「この日程は厳しいものがあります」のように,名詞「もの」や「ところ」を使った婉曲表現を使うことがありますが,若者はそれを接尾辭「―み」で行っていると言えます。

如果直接表露自己的慾望或者共鳴等感情,會讓人覺得太過露骨和強硬。所以把「うれしい」(開心)等表示感情的形容詞名詞化,變成「うれしみ{がある/が深い/を感じる}」(有開心的感覺)後,就產生一種客觀分析的效果,聽上去更加委婉。成年人也會使用「もの」、「ところ」等委婉表達想法的名詞,如「この日程は厳しいものがあります」(這個日程安排有不太合理的地方),而年輕人正是把這種用法換成了接尾詞「―み」。

名詞化するなら,なぜ「―さ」ではなく「―み」を使うのか

名詞化的時候,爲什麼不用「―さ」而使用了「―み」呢?

次に,【疑問3】は,若者ことばで重視される面白さや新鮮さが動機として考えられます。

接下來對於【疑問3】,我認爲原因在於年輕人說話時注重趣味性和新鮮感。

従來使われてきた「―さ」ではなく逸脫的な表現「―み」を使うことで,冗談めかした「ネタ」として自分の感情や欲求を見せることができる,ということです。(これには,自分の思いを皆の前で「つぶやく」媒體であるというTwitterの特性が影響しているかもしれません。)

不用正統的「―さ」,改用不走尋常路的「―み」,這樣能半開玩笑似的將自己的感情和慾望需求展示給他人。(這一點也受推特性質的影響,因爲推特發言是在大衆面前把自己的想法‘說出來’。)

ただ,このときの「逸脫」は,日本語の文法ルールから見ると,実はそれほど大きなものではありません。接尾辭「―さ」による名詞化は,「その狀態の程度」(例:勝利のうれしさは計り知れない)か,「その狀態である様子」(例:彼はうれしさを隠さなかった)という単純な意味の名詞を作ります。

不過,從日語語法規則上來講,此時的“脫軌”行爲並不嚴重。接尾詞「―さ」的名詞化功能,創造出來的都是比較單純的意思,像是“該狀態的程度”(勝利的喜悅不可估量),或“該狀態的樣子”(他沒有掩飾喜悅之情)。

これに対して「―み」による名詞化は,「甘み」(=甘い味),「丸み」(=丸い形),「かゆみ」(=かゆいという感覚)といった特別な意味を表す名詞を作ります。このような「―み」形は,(知覚できる)「感覚」を表すとされます。

與此相對,「―み」的名詞化功能,創造出來的詞帶有特別的意思。例如“甜味”(甜的味道),“圓形”(圓的形狀),“癢的感覺”等。這種「―み」表示(能夠感知到的)“感覺”。

つまり,単なる名詞化ではなく,実感を伴った名詞化であるということ。「―さ」ではなく「―み」が勢力を拡大した理由は,このような點に求めることもできそうです。

也就是說,「―み」不是簡單的名詞化,而是伴隨着實際感受的名詞化。「―み」取代「―さ」並擴大勢力範圍的理由正是這一點。

翻譯爲滬江日語原創,轉載請註明出處。