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爲何使用「微妙」一詞的日本年輕人很“彆扭”?

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爲何使用「微妙」一詞的日本年輕人很“彆扭”?

質問

提問

最近,「微妙」という言葉がおかしな意味で使われているのを聞きます。ちょっと耳障りに感じるのですが。

最近我聽到別人用“微妙”一詞表達奇怪的意思,總感覺有點刺耳。

回答

回答

このおかしな意味というのは,例えば,

您說的奇怪用法,是不是類似以下例子:

「このハンバーグ,おいしい?」

“這漢堡好吃嗎?”

「んー,微妙」

“嗯——微妙”

などのように,意見や感想を求められた際の応答の言葉として用いられた場合でしょうか。「微妙」の意味は,國語辭典によると,「細かいところに美しさ・問題點・重要な意味などが有って,単純な論評を許さない様子。」(『新明解國語辭典』第5版)とありますから,意味的には,さほどおかしさは感じられません。この表現に違和感があるとしたら,求められた答えが手放しで肯定できない,むしろ否定的に傾いているような場合に,それを率直に表現すると差し障りがあるので,「微妙」というあいまいな表現で斷言を避けている印象があることでしょうか。

是不是覺得像這樣,用來向對方闡述自己的意見或感想有些奇怪。根據日本國語字典註釋,“微妙”一詞的含義是“細節之中有着美、爭論點或是重要意義,簡單的評述是不到位的”(《新明解國語詞典》第5版),其含義並不會讓人覺得奇怪。若說這種表達讓人覺得違和,應該是因爲回答者並不是完全贊同對方,甚至可以說是有否定的傾向,但直接表達真實感想又怕觸怒對方,於是使用“微妙”這種曖昧的表達來回避,不願直接袒露心聲。

現代の若年層の言葉の特徴に「とか」に代表される「あいまい」な言い方が指摘されていますが,この「微妙」もそのひとつと言えましょう。

現代年輕人的語言特點是“曖昧”,最典型的例子是“とか”這個詞,“微妙”也可說是典型之一。

意味・用法の変化

含義、用法的變化

わたしたちがふだん使っている言葉の意味は,中心的な意味を保持しながらも,具體的な運用に當たっては,絶えず変化の局面にさらされています。小松英雄氏は,言語変化について以下のように述べています。「いつの時期の言語も変化の過渡期にある。換言するなら,安定していないのが言語の正常な狀態である。」(小松英雄 『日本語はなぜ変化するか―母語としての日本語の歴史』,p36)

我們日常使用的詞語在保持中心含義的同時,也在根據具體語境不斷變化。小松英雄先生就語言變化這樣解釋道“無論何時,語言都處在變化過渡期當中。換句話說就是“波動”纔是語言的正常狀態。”(小松英雄《日本語爲何變化——作爲母語的日語歷史》)

例えば,日常的に起こる言葉の変化として,比喩ひゆによる意味の転用があります。スポーツで使われる「二人三腳」「延長戦」「フライング」などの言葉をスポーツ以外の場面にあてはめて使っても,十分理解可能です。また,そのような言い方が定着すれば,その言葉の意味が拡大し,新しい意味を獲得したことになります。意味の拡大について,進行中の例を紹介しましょう。文化庁が実施した「平成13年度『國語に関する世論調査』」によると,「こだわる」の使い方について興味深い結果が出ています。

例如,因比喻造成的詞語含義挪用,就屬於日常生活中發生的詞語變化。例如“兩人三腳”、“加時賽”、“搶跑”等運動相關詞語,哪怕用在運動以外的場合人們也能充分理解。此外,若這種說法固定下來,詞語便隨之擴展,獲得新的含義。就詞意擴充這一方面,請允許筆者爲您介紹一個進行時的例子。根據文化廳開展的“平成13年《國語相關社論調查》”, “こだわる”一詞的用法出現了非常有意思的結果。

1、まだ過去のことにこだわっている

1、還在糾結過去的事

2、食材にはとことんこだわっている

2、對食材要求很高

というふたつの使い方についてどちらを使うか尋ねたところ,(1)の方を使う人が31.1%,(2)の方を使う人が19.9%,どちらも使う人が40.3%という結果でした。(2)の用法は新しいものとされていますが,「どちらも使う」人が4割に達しています。これは,(1)の用法に(2)の用法が加わる過程をとらえたものと考えるのが妥當でしょう。

調查詢問人們以上兩種用法選擇使用哪一種,結果顯示:使用(1)的人數佔31.1%,使用(2)的人數佔19.9,%,兩方都使用的人數佔40.3%。對此,筆者認爲最恰當的理解就是,這個詞處在1)用法的基礎上發展出2)用法的過程之中。

言葉の変化と価値観

語言的變化與價值觀

言語変化は,大局的に見るとその言語を使う人々の合意に基づくものであり,集団的意志の反映ととらえることができますが,変化が進行中である場合,変化を支持する立場とそれに抗しようとする立場とに集団が分かれる場合があります。その原因は,自分が持っている正しさの基準が変わってしまうことに対して,寛容かどうかという點にあります。

從整體上來看,語言變化依託於使用者的約定俗成,可看做集體意識的反應,但是在變化進行過程中,有時集體也會分爲支持變化與反對變化兩個陣營。其原因在於自身認爲正確的基準發生變化時,我們能否寬容對待。

物事の正否を決めるには,一定の基準に従うのが一般的なやり方ですが,言語の場合は,その基準というものが明確な形では存在しません。言葉は,使い手個人個人がそれぞれ基準を持っています。もちろん,それらの基準は大體においては一致しています。そうでなければコミュニケーションが成立しなくなります。しかし,世代や地域・職業などの違いによってその基準は異なっていますし,同一の集団に屬する人たちの間でも基準は微妙にずれているものです。

決定某個事物正確與否時,通常做法是看其是否遵循一定標準,但語言並不沒有明確標準。語言使用者每個人都有自己的標準,當然標準大體上是一致的,不然沒法交流。然而,標準也因世代、地域、職業等差異有所不同,即便屬於同一集體,每個人的標準也有微妙差異。

言葉は思考の道具でもあり,自己の存在を確認する重要な手段でもあります。その基準が異なっていた場合,心理的に違和感や抵抗感が生じるのはやむを得ないことです。しかし,そこで終わらずに,そのときに,なぜ違和感を持ったのか考えてみることが重要です。相手はどのような基準で言葉を用いているのか,それは,自分の基準とどのように違うのか。このような疑問は,言葉の基準は変わりうるものであること,したがって自分の基準が絶対ではないことなどに気付かせてくれるでしょう。円滑なコミュニケーションのためには,自分と異なる基準に対して寛容に接することが大切です。

語言是思考的工具,也是確認自身存在的重要手段。當標準出現差異,心理上產生彆扭感或抗拒感也無可厚非。然而,這件事並非就此結束,這時最重要的就是考慮爲什麼我們會產生彆扭感。對方在使用語言時用的什麼標準?和自己的標準有什麼不同?類似疑問會讓人意識到:語言的基準會變化,自己的基準也並非絕對。爲了順暢交流,我們需要以寬容之心看待與自己不同的標準。

本內容爲滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。

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