日語語法辨析:「ものだ」和「ことだ」
又到了日語語法學習的環節。不知道大家對於這部分的困惑有哪些呢?今天來和大家說說這兩個用法吧。「ものだ」和「ことだ」一直都是學日語的小夥伴們經常混淆的語法表示感嘆,它們兩者都可使用,但用法有區別。具體是什麼呢?一起來看看吧!
用ものだ的形式,表示一般意義上的感嘆,一般不能用ことだ代替。ことだ則表示就事論事的感嘆,一般用句型“なんと(或なんて、どんなに)……ことだろう(或ことか)”一般不能用ものだ代替。
例如:
1、赤ちゃんって可愛いものだ(×ことだ)ねえ。
あかちゃんってかわいいものだねぇ。
嬰兒啊,那真可愛。(表示一般的感嘆,對所有嬰兒而言)
2、この赤ちゃんはなんと可愛いことか(×ものだ)、まるでお人形さんみたい。
このあかちゃんはなんとかわいいことが、まるでおにんぎょうさんみたい。
這嬰兒多可愛啊,就好象布娃娃似的。(就事論事的感嘆,就對眼前的嬰兒而言)
表示忠告兩者都可用,但有區別ものだ表示社會道德常識,人人都應該遵守的規範,表示大道理;ことだ則表示就事論事,不屬於大道理。中文意思都是“應該……”。
例如:
1、先生に會ったら、挨拶をするものだ(×ことだ)。
せんせいにあったら、あいさつをするものだ。
見到老師你應該打招呼。(對所有老師都應這樣,屬於禮貌常識,應該做。)
2、張先生に會ったら、挨拶をすることだ(×ものだ)。
ちょうせんせいにあったら、あいさつをするのとだ。
見到張老師你應該打招呼。(只適用於張老師,對其他老師可不必,表示就事論事。)
ものだ表“總是.."
ことだ沒有這種用法。
ものだ可以表示人們的一般認同可以表示某種規律,意爲:“總是……”;“難免……”、本來就是……。
ことだ沒有這種用法。
例如:
1、年を取ると、気が弱くなるものだ(×ことだ)。
としをとると、きがよわくなるものだ。
上年紀了,難免就膽小了。
2、人間は死ぬものだ(×ことだ)。
にんげんはしぬものだ。
人總是要死的。
ものだ表緬懷
ことだ沒有這種用法。
ものだ接在動詞過去時後,表示對往事的緬懷、回憶;ことだ沒有這種用法。
例如:
1、子供のとき、よくこの川で泳いだものだ(×ことだ)。
こどものとき、よくこのかわでおよいだものだ。
小時侯,我常在這條河裏游泳來着。
2、學生のごろよく貧乏旅行をしたものです(×ことです)。
がくせいのごろよくびんぼうりょこうをしたものです。
學生時代,經常進行窮困旅行。
3、小學校の時代、彼のいたずらには、先生たちが手を焼いたものでした(×ことでした)。
しょうがっこうのじだい、かれのいたずらには、せんせいたちがてをやいたものでした。
小學時,老師對他的淘氣很沒有辦法。
ものだ表強烈願望
ことだ沒有此種用法
ものだ接在願望助動詞たい後,表示強烈的願望。
ことだ沒有這種用法。
例如:
1、小さい時に戻りたいものだ(×ことだ)。
ちさいときにもどりたいものだ。
真想回到小時侯。
2、そのお話はぜひ伺いたいものです(×ことです)。
そのおはなしはぜひうかがいたいものです。
很想聽一聽那件事。
ものだ感嘆事實
「ことだ」無此用法。
ものだ以感嘆的語氣表現某種事實,可帶有讚歎、痛惜等語感。
「ことだ」無此用法。
例如:
「何かご用でもあって?」
「いえ、別に。ただ近所まで來たものです(×ことです)。」
ただきんじょまできたものです。
“有什麼事嗎?”
“不,沒什麼事,我只是路過這附近。”
這部分日語語法知識大家都瞭解清楚了嗎?想要在語法上面有所收穫的話,還需要大家結合所講到的內容和實際情況加以分析運用,如果你能夠完全掌握的話,那就說明這個知識點已經吃透了。想要在考試中不失分,也請大家多多努力吧。