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七個例子讓你徹底搞懂「思う」和「考える」有何不同?

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「思う」も「考える」も思考に関する動詞ですが,その思考のニュアンスが異なります。大きな違いは,「思う」は「情緒的・一時的な思考」,「考える」は「論理的・継続的な思考」というニュアンスをもっている點です。次の文を比べてみましょう。

七個例子讓你徹底搞懂「思う」和「考える」有何不同?

「思う」和「考える」都是用於表示思考的動詞,但兩者的“思考”有着不同。較大的區別是:「思う」是“情緒上的、短時間的思考”,「考える」是“有邏輯性的,不間斷的思考”。讓我們來對比看看下面的句子。

(1)子どもの將來を思う。

(2)子どもの將來を考える。

「子どもの將來を思う」で思考されるのは希望や不安といった情緒的・感情的な內容であることが多く,「子どもの將來を考える」で思考される內容は,教育や経済狀況等,論理的・理性的なものになります(もちろん,考えた結果,希望や不安等の感情をもつことはありえます)。

「子どもの將來を思う」這句“思考”的更多是“希望”和“不安”這種情緒、感情方面的內容,「子どもの將來を考える」這句“思考”的內容是孩子的“教育”、家庭的“經濟情況”等有邏輯性的、理性的東西(當然,考慮的結果也會有希望和不安等情感產生)。

文を少しかえてみます。「子どもの將來をじっくり考える」は自然なのに対し,「子どもの將來をじっくり思う」という表現は使いにくいですが,これは,「考える」のもつ継続的思考・「思う」のもつ一時的思考というニュアンスのためです。また,「考える」ことは自分の意志でコントロールできるため,「今から子どもの將來を考えよう」のように言うことができます。これと比べると,「思う」は自分ではコントロールしにくい思考行為であり,「今から子どもの將來を思おう」は不自然な表現になります。

再替換下內容看看。「子どもの將來をじっくり考える」(仔細地思考孩子的將來)這句話很自然,而「子どもの將來をじっくり思う」這個表現則不太自然,這正是因爲「考える」是不間斷的思考,而「思う」是短時間的思考。再者,「考える」是可以通過自己的意志控制的,因此可以說「今から子どもの將來を考えよう」(從現在開始考慮孩子的將來)。與此相對,「思う」是很難被自己控制的,因此「今から子どもの將來を思おう」的用法就不太自然。

さて,「思う」と「考える」の違いがよくあらわれている例をさらにみてみましょう。

那麼,我們再看看「思う」和「考える」之間差異十分明顯的例子。

A.「思う」が使われるケース

A.使用「思う」的情況

A-1. 情緒的・感情的な思考

不満やうれしい気持ち等の感情には,「考える」ではなく「思う」が使われます。

(3)不満に思う。うれしく思う。

(4)?不満に考える。?うれしく考える。

A-1. 情緒上的、感情上的思考

表現“不滿”和“開心”等心情時,不使用「考える」而使用「思う」。

また,故郷や母への強い気持ち等,情緒的な思考をあらわす際にも「思う」が使われることが多いです。

(5)故郷を思う。 母を思う。

(6)?故郷を考える。 ?母を考える。

另外,在表達對於故鄉和母親的強烈情感,在表現情緒上的思考時多用「思う」。

ただ,「故郷を考える」がシンポジウムのタイトルであれば,故郷について理性的に思考するというニュアンスから自然な文になります。また,「故郷のことを考える」のように「のこと」をつけると,故郷自體だけでなく,故郷をとりまく様々な事柄も含めた抽象的なものとして表すことができ,「考える」を使いやすくなります。

不過,若是座談會以「故郷を考える」爲主題,就表示針對故鄉進行理性地思考,這種表達也是有的。而像「故郷のことを考える」這樣加上「のこと」,就不只是表示故鄉存在本身,是一種包括了和故鄉相關的各種各樣的事的抽象表達方法,「のこと」加上「考える」的表達更爲自然。

A-2. 一時的な思考

次の場合,「誰!?」と思考したのは一瞬のことなので,「思う」が使われます。

(7)誰かと思ったらあなたでしたか。

(8)?誰かと考えたらあなたでしたか。

逆に,「あれは誰だったのかとずっと考えていたのですが…」のようにその思考が継続的である場合には「考える」が使われます。

A-2. 短時間的思考

下面這種情況,思考「誰!?」就只是一瞬間的事,所以使用「思う」。

相反,像「あれは誰だったのかとずっと考えていたのですが…(我一直在想那個人是誰…)」這種情況,思考不間斷了一段時間,是可以用「考える」的。

B.「考える」が使われるケース

B.使用「考える」的情況

B-1. 論理的・理性的な思考

次のように,原因を解明したり対策を練ったりするには論理的な思考が必要であり,「考える」が使われます。

(9)少子高齢化の原因を考える。 少子高齢化対策を考える。

(10)?少子高齢化の原因を思う。?少子高齢化対策を思う。

B-1.有邏輯性的,不間斷的思考

像下面的句子,解釋原因、推敲對策需要理論方面的思考,所以使用「考える」。

B-2. 継続的な思考

次の例では,「明日までに」「しばらく」という表現から,継続的な思考であることが明らかです。また,このような文脈で思考されているのは,おそらく諾否の返事や適切な案等,何らかの論理的な內容であるところからも,「考える」を使うのが普通です。

(11)明日までに考えます。しばらく考える時間をください。

(12)?明日までに思います。?しばらく思う時間をください。

B-2.不間斷的思考

下面的例子中,「明日までに」(明天之前)、「しばらく」(不久)這些表達,明顯傳遞出不間斷在思考的意思。再者,聯繫上下文可以發現,這裏的“思考”應該是在考慮是否回覆同意及合適的方案,多少有一些理論方面的內容,這種時候一般使用「考える」。

B-3. 自分の意志でコントロールできる思考

次の例は,感情的な思考をあらわす文にも見えますが,思考する行為を禁止するような場合は「思う」ではなく「考える」が使われます。

(13)くよくよ考えるな。バカなことを考えるな。

(14)?くよくよ思うな。?バカなことを思うな。

B-3.能夠控制自己意志的思考

下面的例子看起來是表達感情方面的思考,但在禁止思考行爲的情況下,一般不使用「思う」,而是使用「考える」。

自分の意志ではコントロールしがたい思考である「思う」は,「思考するな」という意味での禁止の形にはなりにくく,「通用すると思うな。」(≒通用しない)「これですむと思うなよ。」(≒これではすまない)のように,思考する行為というより,思考內容を否定し,その認識をたしなめる際に使われることが多いです。

「思う」表達的是難以憑藉自己的意志控制的思考,其否定形式並不能表達“不要思考”的意思,比如「通用すると思うな。」是“通用しない,不通用”的意思,「これですむと思うなよ。」是“不要以爲這件事就這樣算了”的意思,「思う」的否定形式並不是在否定思考行爲本身,而是在否定修正思考的內容、產生的認識時使用。

一方「考える」は,自分の意志で考えはじめたり考えるのをやめたりすることができ,他者がその思考を禁止することもできます。上の例の他にも「考えるな,感じろ」「それ以上考えるな」のように思考する行為を禁止する場合に多く使われます。

[cn]另一方面,「考える」是可以憑藉自己的意志決定思考何時開始何時結束的,別人也可以禁止這種思考。除了上面的例子之外,「考える」也出現在許多禁止思考的情況下,比如「考えるな,感じろ」(不要思考,去感受)、「それ以上考えるな」(別考慮太多)。/cn]

翻譯爲滬江日語原創,未經授權禁止轉載。

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