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你能說清「稽古」和「練習」的區別嗎?

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爲什麼相撲大力士把訓練說成「稽古」,而不說成「練習」,這兩個詞到底有何區別呢?

你能說清「稽古」和「練習」的區別嗎?

確實,「稽古」和「練習」的意思非常相近。可能有很多人都對這兩個詞的用法抱有疑問。

讓我們先來看一下「稽古」和「練習」在『スーパー大辭林』辭典中的解釋:

稽古:①武芸・芸事などを習うこと。また、練習。②書物を読んで昔のことを考え、物の道理を學ぶこと。學問。學習。③高い學識のある人。

稽古:①學習(學問、技術、技藝、武術等)。練習。②通過讀書思考過去,習得道理。學問。學習。③有很高學識的人。

練習:技能・芸事などが上達するように同じことを繰り返しならうこと。

練習:爲提高技能知識而不斷反覆學習。

通過查閱辭典,我們不難發現「稽古」的意思和用法比較多,只有第①種用法與「練習」非常接近。

例:ピアノを練習する。⇒ ピアノを稽古する。

接下來是日本當代一語言學研究者關於「稽古」和「練習」異同點的論述:

「稽古」と「練習」は、能力や技術などを向上させるために繰り返し習うという點で共通している。似たような語に「訓練」があり、この語もかなり意味が近い。あと、外來語ではあるが「トレーニング」という類義語もある。

「稽古」和「練習」這兩個詞在爲了提高能力和技術等而反覆學習這一點上是共通的。類似的詞有「訓練(くんれん)」,這個詞與「練習」「稽古」的意思也十分相近。另外,還有一個外來詞近義詞——「トレーニング」。

日本語の「練習」「稽古」「訓練」を比較してみると、なにかの技術をより上達させるときには「練習」「稽古」を使うが、なにかの技術や能力を身につけさせるときは「訓練」の方がしっくりきそうな気がする。だから、「バイオリンを〔練習する/稽古する〕」とはいえるが、「バイオリンを訓練する」が変なのはそのためなのであろう。

試着比較一下「練習」「稽古」「訓練」,在提高某種技術時,使用「練習」和「稽古」。在掌握某種技術或能力時,感覺「訓練」更貼切。因此,雖然可以說「バイオリンを〔練習する/稽古する〕」“練習/練習小提琴”,但「バイオリンを訓練する」“訓練小提琴”卻很奇怪,是因爲這個原因。

そうしてみると、「練習」と「稽古」はかなり近い語のようだが、「稽古」の方がやや古めかしい言い方で、芸事や習い事、日本古來の武術などに用いられることが多い。茶道や華道、相撲や剣道、柔道などは「稽古」の方がしっくりくる。相撲の場合、「突き押しの練習をする」「投げ技の練習をする」と言えなくもないが、やはり相撲の技では「稽古」の方が適切であろう。

這樣看來,「練習」和「稽古」是意思相當相近的詞語,但是「稽古」的說法比較陳舊,多用於技藝(與演藝有關的事,古琴、三味線、舞蹈等遊藝或有關這些遊藝的事情)、習藝、日本自古以來的武術等。茶道、花道、相撲、劍道、柔道等,使用「稽古」更貼切。雖然相撲中,不是不能說「突き押しの練習をする」和 「投げ技の練習をする」,但是相撲的技法還是使用「稽古」比較貼切。

ことば自體が古めかしいということもあるのだが、私の語感としては、「稽古」はその習う方法があまり科學的ではない印象を受ける。だからといって、もちろん「稽古」のやり方が「練習」よりも劣っているという意味ではない。

雖然語言本身很陳舊,但是作爲我的語感,「稽古」給人的印象是其學習方法不太科學。話雖如此,當然也並不意味着「稽古」的做法比「練習」差。

ことばとしては「練習」「稽古」ともにけっこう古くから存在していたようで、『日本國語大辭典(日國)』にはいずれも平安時代の用例がある。「稽古」が古くからあるのはわかるのだが、「練習」という語も古いというのはちょっと意外な気がする。

作爲詞語,「練習」和「稽古」似乎都是從很早以前就存在的,在《日本國語大辭典(日國)》中都有平安時代的實例。我知道「稽古」是自古以來就有的,但是沒想到「練習」一詞也出現的很早。

南北朝時代の連歌論集『連理祕抄』(1349年)に、「只堪能(かんのう)に練習して、座功をつむより外の稽古はあるべからず」という「練習」と「稽古」を同時に使っている例がある。ひたすら連歌の道に深く通じて學習し、連歌の一座に參加して経験を積むこと以外の修業はないといっているのである。今仮に「練習」を學習、「稽古」を修業と置き換えてみたが、明らかにこの2語を使い分けていて興味深い例である。

南北朝時期的連歌論集《連理祕抄》(1349年)中,有同時使用「練習」和「稽古」的例子——「只堪能(かんのう)に練習して、座功をつむより外の稽古はあるべからず」。這句話的大致意思是“一味精通連歌之道,參加連歌劇團,以積累經驗,除此之外沒有學習技藝”。現在假設把「練習」替換成「學習」“學習”,把「稽古」替換成「修業」“學習技藝”,很顯然是區分使用這「練習」和「稽古」這兩個詞的有趣的例子。

もうひとつの「訓練」だが、こちらは明治時代になってからの用例しか見當たらない。なお「トレーニング」は英語のtraining からだが、練習、訓練、鍛錬などと訳される。スポーツで使われることが多く、「試合に備えてトレーニングを積む」などのように、體力の向上を図ったり、より高度な技術を目指したりすることをいう。ただし、スポーツに限らず「英語のトレーニング」などのように、あることを身につけるという意味でも用いられる。

另一個是「訓練」,只能看到明治時代以後的例句。另外,「トレーニング」來自英語的training,可以翻譯爲 “練習”“訓練”“鍛鍊”等。多用於體育運動當中,如「試合に備えてトレーニングを積む」“爲準備比賽而積累訓練”等,是指謀求體力的提高,以更高級的技術爲目標。但是,不僅限於體育運動,也用在掌握某種東西的意義上,比如「英語のトレーニング」“英語的訓練”等。

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